写真の撮れなかった’09北アルプス縦走

ホントにここ数年,もしかしたら10年くらいかも知れない,夏の天気が安定しないように思う.学生時代夏山では晴れ男と自信を持って言ってもいいくらいだった.10日くらいの入山でも一日しか停滞日を使わなかったことすらあった.93年の天候不順のあとは97年に北アルプスに行く予定をこの年も今年のように北陸東北の梅雨明けがうまくいかなくて南アルプスに直前変更して梅雨前線を逃れるという裏技を使ったこともあったが...ところが2002年以降はほぼ毎年夏の天気がおかしい.実際,ここ数年渇水というのを経験していないことを思い出す(自民党政権によるダム建設の効果が発揮してきたこともあるかも知れないがw).昨年は例のゲリラ豪雨です.これはまぁ,中共のオリンピック国威発揚あたりと相関がありそうな気がしますがw 

で,今年は8日より蓮華温泉より入山し,大池,小蓮華,雪倉岳,朝日岳経由で蓮華温泉に下山の循環コースの予定でした.8日5時起きし,5時発表の天気図を確認.気圧の谷がちょうど北陸あたりにあってすっきり晴れそうな気配はないものの,あわよくば数日後晴れ間も見えるのでないかとの期待のもと家を7時出発.実際登山口の平岩周辺では青空を見ることができていました.のに,蓮華温泉に到着するころには山は雲に覆われました.まぁこの辺は予想内でしたので予定通り出発しました.ほぼコースタイムで大池到着.ここは2年前にも使わせてもらっています.この時は栂池から入山したのですが,この時も天気が良くなくて入山日を3日遅らせての入山,それでも4日目には回復しそうな天気図になってきたので3日目に入山し実際その後はずっと晴れ続けた経緯があります.社会人になった今は雨が予想されるときは撤収に時間がかかるので天幕にはせず小屋泊まりにします.今回もそれにあやかって,小屋泊まりにしました.

翌9日朝,朝小屋の窓から虹が見えました.でもまさに朝光りでした.朝食が始まるころにはガスで覆われました.小屋に掲示の天気図も昨日と余り変わらないものでした.6時に出発し小蓮華岳に向かいます.途中子連れライチョウと出会しました.
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まぁ,ライチョウが出てくると言うことは,雨な訳でこのあと三国境あたりで雨に降られました.雪倉の避難小屋でちょうど雨はやんでいたのでここで昼にします.小屋の中は便所併設のため臭いますw
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その後も朝日小屋まで何度となく降られました.小屋直前の沢は水量も豊富で顔を洗うにものどを潤すにも最高の冷たさでした.朝日小屋で聞いた話では,今年は天気とトムラウシの事件も相まって入山者数が例年の60%程度とのことでした.おかげで布団に一人で寝ることができました(盆の山小屋は一つの布団に互い違いになって寝させられることもあるという.それがいやで社会人になっても天幕にする).ところがしばらくして驚愕の事実を知ります.四国沖に台風9号発生!!! 終わりました.すでに大陸に8号が行っていますので,数日後に低気圧として襲ってきます.てことは9号が去っても台風一過の晴天にはならないわけで,ここで停滞しても仕方ないことになります.山は高気圧に完全に覆われていない限り写真日和の晴れ間は期待できません.下界が曇りなら山は雨と思った方がいいわけです.ただここの小屋はきれいでご飯もおいしく,今回の縦走は単にピークハントにしかならないので,再来した折には又利用したいと思いました.

で3日目の10日,朝から大雨でした.本当は車のある蓮華側に下山したいところですが,小屋の女将さんの話で蓮華に降りるより北又に下りた方がいいというので素直に先達の意見に従います.下山開始後すぐ,同行者の言葉を借りれば日本のマチピチュが広がります.
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この写真を見たとき,デジカメのすごさを実感しました.あの雨天がせいぜい高曇りのように変換されちゃうんですから.写真=真実を写す道具ではないなと.フィルム時代,現像所のオペレータは露出のアンダーオーバを除けば色調まではいじりませんでした.ところが,デジカメになってDIGICやらのフォトショップは勝手にここまで風景を変換してくれるわけです.だから,輸出先によって国民の好みが変わるので調子のいじり方を変える必要があるのです.それを今回実体験できました.こりゃ素人には受けるわけだなとw なわけで,雨続きの今回はデジカメで撮った”記録”だけです.フィルムの”写真”は撮らずじまいでした.
この先登山道は川のようになっていました.天気が良ければここからは富山平野から続く富山湾の水平線が望めたのだろう.
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まさに敗残兵の如き姿で北又小屋に昼前に到着,中界に帰ってきました.他の下山者と揃って下りてきているので,タクシーに同乗させてもらい下界へ戻りました.仕方ないので,このあとは車を回収すべくのてっちゃん旅行と温泉巡りでした.
(温泉の部)
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(てっちゃんの部)
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ニュース時論公論

(1)ネイチャースポーツの不振と子供の理科離れ
本文中気になったのは①若年層は全くと言っていいほど海の世界に入ってきません②日本全体がインドア志向になってしまったこと③漁業関係者との沿岸利権をめぐる確執④ネイチャースポーツの不振と子供の理科離れは、問題の根が同じ,の4つだ.①②はここでも述べてきたことと余り違わないように思う.デジタル化=インドア化というのは極論だろうか?③は結局のところマリンスポーツができるようなところは東京大阪近辺の一部を除けば田舎なので,田舎は間口が狭いのでよそ者に対して警戒心が強いことと相関があるように思う.④は自分の中ではその論理の相関がいまいち納得できないところがあるが,①②で述べたデジタル化=インドア化ということだろうか?

(2)MOディスク販売、三菱化学メディアと日立マクセルが終了へ ソニーは継続
デジタル化では毎度のことです.次はCD-Rかな?やがてSD,DVD-Rの順番が来るでしょう.

(3)デジカメ上期出荷台数 初のマイナス 伸び悩み鮮明
これもデジタル化では当たり前のこと.ドッグイヤーでコモディティー化してしまえばそりゃそうなります.デジ厨の皆さん,今後もデジタル一眼に毎年お布施お願いしますw さもないとまた一社と退場していってしまいます.アナログな人間は30年前のフィルムカメラを大事に使い続けます.



覆水盆に返らず

昨日パソコンのHDDが悲鳴を上げだし,修復を試みる間もなくお亡くなりになられた.まさにデジタル製品の最後だった.ただ,そこはデジタルの便利さでもあるところで,Raidを組んでるわけではないがバックアップは毎日取っているので安心.またお亡くなりになれたドライブはデータ用にシステムとは物理的に別のドライブであった.予備のドライブも確保してあるのですぐに入替が完了した.通常システムドライブの方がアクセスが多いので早く死ぬものなのだが...

ちょうど今日は出張で東京に出る用があったので,ドライブも物色しようかと思ってアキバをぶらついてみたが,あまりビビビと来るものがなかったので結局買わずじまい.

で,出張の方はセミナーの聴講.自動車エネルギー産業の今後についてのコンサル会社のセミナー.その人の(オフレコの個人的)意見は少なくとも自分がここの最後の段落と同じことを述べていた.ただ,まさにデジカメや4年前の選挙がそうであったように,作られた人気によって大衆はどうにでも左右できる.ゲッペルス宣伝相は
”大衆の多くは無知で愚かである”
”熱狂する大衆のみが操縦可能である”
”人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ”
といっているように産業界や政府は新しい産業を興すために大衆をどう動かすかは分からない.

今日の収穫はアキバのカメラ屋で見つけた"SAVE THE FILM"なる冊子.この中の一文を紹介します.

「宇宙のからくりからみた銀塩の魅力」

~フィルム、デジタルの根源的差異を考える~
          佐治晴夫(宇宙物理学者・理学博士)

かつて写真技術が発明されることによって、肖像画を描いていた画家たちは失業し、新しい絵画の世界を切り開くきっかけとなった。実は、銀塩写真からデジタルへの移行にも似たようなことがいえそうだ。デジタル写真は、撮影直後の映像の確認が容易であり、撮り直し、消去にも手間がかからず、しかも、撮影後の画像処理が自由自在であるなど、驚くべき利点を有するが、一方では、撮るべき一瞬と対峙する緊迫感に欠けるというデメリットを生み出す。つまり、従来の銀塩写真は、一枚の作品を撮る一瞬までの間に途切れることのない連続した時間の流れがあり、それが凝縮した先にシャッターチャンスが到来する。それゆえに、そこで撮られた一枚の作品には、撮影者の生命の息づきを感じさせるリアリティーがあって、写真にこめられた想いは、画像の中で永遠に行き続けることにもなりえたのだが、デジタル写真は、時間の流れの一瞬を捉えたにすぎず、しかも、撮影した後に、いかようにも再構築できるという点からみると、銀塩写真がもつ「フラクタル性」、すなわち部分から全体を見通すという迫力に欠けてしまうようだ。いいかえれば、デジタル写真は、被写体そのものを二次元的に切り取る能力には長けているにしても、被写体の周辺にそこはかとなく漂う見えない空気、雰囲気とでもいいたい奥行きのような何かを表現する段になると銀塩の力に及ばない。これは、物理的な観点からいえば、感光素子の基本的構造と処理方法の差異に由来するのだろうが、あえて言えば、世界の構造がデジタルな原子分子で成り立っているのにもかかわらず、われわれが目にする世界は、極めてアナログ的な確率現象でしかないという現代物理学が明らかにしたパラドックスにも似ている。もう少し詳しくいえば、銀塩フィルムにおける感光素子は、きわめて規則正しく整列している。
一方、人間の目を構成する細胞の動きは、けっして一様ではなく、ランダムに動くことによって、ノイズを平均化し、心地よい画面をつくるようにできている、これは、天体写真を撮ってみるとよくわかる。通常、望遠鏡越しに惑星などの写真を撮ると、例外なく、肉眼による眼視映像よりも、ぼけた写真しか撮れない。何故か。それは、眼視の場合、視覚細胞がゆらいで、ランダムな自然界のノイズを平均化し、結果としてノイズ除去をしているからである。ぼけて、ゆらいでいるからこそ、ピントがきっちりあって見えるということだ。この事実は、積分法といって、20世紀後半の実験物理学での測定制度を上げる方法に応用されている。つまり、人間の目に心地よい自然の映像とは、きっちりと、規則正しく配列された素子では実現されず、ランダムな素子の上に創り出される平均化された映像だということになる。もちろん、この場合、十分な解像度を確保できる程度の精細なドットであらねばならないことはいうまでもない。
実は、この状況は、音楽の演奏をデジタル処理したものとアナログ処理したものとの再生音の違いを思い起こさせる。たとえば、CDを半導体素子のアンプで再生した場合と、LPレコードを真空管アンプで増幅した場合の再生音の違いである。筆者は、かつて、あるレコード会社の協力を得て、カルル・ベーム指揮、ウイーンフィルの演奏によるモーツアルトのレクイエムを同じマスターテープからCDとLPに落として聞き比べをしたことがある。その差は歴然としていたが、もっとも顕著だったのは、第5曲、ラクリモーサ(涙の日)の終結部を力強く、しかももっとも美しい合唱で締めくくる「アーメン」の部分だった。つまり、すべての合唱団員が後ろ向きで歌っているとしか思えない再生音がCDだったのである。もちろん、デジタル録音には、アナログレコードでは避けることのできない針のスクラッチノイズなどは皆無であるが、音場の奥行きが感じられないのである。考えてみれば、音響であっても、映像であっても、われわれが日常接している世界は、虚構の世界であろう。
デジタル技術にも、たしかにノイズは存在するが、それは虚構のノイズだ。たとえば、モアレによる擬色だ。だからこそ、銀塩は、銀塩であるが故の原点に立ち戻り、改めて新たな銀塩世界の魅力に目覚めるべき時期が今なのかもしれないと思う。もちろん、デジタル写真のデメリットもいずれはデジタル技術によって克服されていくのだろうが、少なくとも、現時点においては、いまだに、銀塩には太刀打ちできない弱さがある。デジタル技術の基本は、情報となる信号の量子化にあるが、自然界の姿は、量子化されたモデルのアナログ的な確率現象であることを肝に銘じておきたい。





フィルム生産激減で遺跡発掘写真が大ピンチ

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/282233/の記事.フィルムの保存性云々は自分もすでに刹那的などで述べてきている.自分的にはフィルムの階調のなめらかさ,CCDの偽色の問題を指摘したいが,ここでは記事との相関を考え,それについては後で述べる.

自分もかつて学生時代は自家現像をよくやっていた.山岳写真に特化していたため,山岳写真特有の空をつぶす撮り方にあわせてまさに記事にもある赤外フィルムなんかをよく使った.コニカの赤外フィルムだ.ところがこのフィルムもコニカのフィルムからの撤退によって(それどころかミノルタと合併後同社は写真産業からさえ撤退した.この辺はデジタル化による産業の移り変わりに起因する)使いたくても使えなくなってしまった.デジタルは保存性がいいと思ってる人がいるようだが,DVDの保存性など思ってるほどでない.特に高記録密度になるほど経時劣化によるダレの影響で読み込みができなくなる.それにメディアの連続性,即ちいつまでその方式が流通されるのかMOやスマートメディアに見るようにデジタル時代の移ろいは激しい.そのことを分かってか,アメリカの公的文書の保存方法はマイクロフィルムとなっている.日本でも警察とか土木関連は偽造防止の観点からフィルムを使っている.デジタルは信用ならないということです.

ここで話を戻してしまうが自分としては最近のカメラ雑誌を見るにつけ,人肌とかのっぺりとした平面的な写真が多くなったのが一番気になる.CCDの階調表現の低さに起因するものと思われる.またアウトフォーカス部の緑色が不自然なものも多い.これは偽色に起因するものと思われる.デジタルは枚数を気にしなくてもいいという意見も合点がいかない.フィルムの時代から写真をやってる人ならファインダーをのぞいた時点で作品になるのか,ならないのかある程度見当がつく(もちろんなると思って切ったシャッターのうち作品になる確率なんて言わずもがな.その逆がほとんど成り立たないのは経験,闇雲に切ったシャッターの数でない,がモノをいう).それにそんなに気になるならフィルムの予備を計算して持って行けばいい.自分は今までフィルムの残数なんて気にしたことがない.そういうことを言う人に限って,デジタル一眼を毎年カメラメーカにお布施してあげたり,ケータイ電話に毎月何万円も使っている.結局写真がパソコンの周辺機器になったため,デジカメ買い換えるのもパソコン買い換えるのもケータイ買い換えるのも同じデジタルには優しい財布なんでしょう.そして階調,偽色の問題もパソコンの周辺機器化によって液晶画面で見られれば良いためにこれらの問題に気がつかないのだろう.もっとも,フィルムとて焼き付け機のデジタル化(フロンティアなど)以降,結局のところデジタルと同じになってしまっている.リバーサルを使うことによってしか今やこれらの問題は避けることができない.しかし,プロジェクタでスライド(リバーサル)を投影した日には,フィルムの優位性を誰もが気がつくであろう.そしていわゆる金属カメラを使えば,デジタルとフィルムとどっちがエコなのか,これも気がつくだろう.



ハイリスクハイリターン

金融危機はヘッジファンドのサブプライムローンが引き金となったと言うのが定説になっている.直接の引き金はサブプライムなのかも知れないが,サブプライムを許す心の隙があったのが原因ではないかとも思える.即ち,本来ならハイリスクハイリターンのヘッジファンドであったはずだが,右肩上がりの成長神話の基に若者のゲーム世代と同じで,社会全体がリアル感覚を失ってそのハイリスクのはずの得体の知れないヘッジファンドを何となく何とかなりそうだと思える社会が中進国以上の国で達成されてしまっていた.リスクというものが実体のない,そんな精神的平和ボケが世界中に広まったように思われる.
自分の従事する工業分野においてもここで以前から述べているようにデジタル化で"ある程度の"品質のものならほとんどどこの国でも作れるようになった.確かに日本製品は品質が高いけど,値段も高い.韓国,中国製のならば長持ちしないかも知れないけど半額近い値段で買えるよね,ならこっちにしよう.一方でエコエコ言いながら,長い目で見たエコのことは気がついていない.そんなのは物質的平和ボケではないだろうか?心(精神)が先かもの(物質)が先か議論は分かれるだろうが,物質的平和ボケが精神的平和ボケ,心の隙を引き起こしたのが今回の恐慌の原因と察する.ヘッジファンド,エコ,平和ボケ万歳である.



時価の経済

いつもの日経bpの記事.
忍び寄る貧しさの影
資本主義というのは,製品を安いところで生産しそれを需要地へ届ける経済であると認識する.つまり,物価の安いところで生産するわけである.かつてなら国内地方へ工場を建設してそこから出荷した.この頃は設計も製造も国内に温存されていたから良かった.このように賃金の時価/時差を利用するのが資本主義である.それを原理主義的に解釈実践したのが新自由主義であろう.ところがデジタル製品に代表されるように,アセンブリで製造できる製品が普及しはじめると,製造はおろか設計まで海外でもできるようになってしまったのである.確かにソフトでハードを制御するデジタル化は一時的には垂直統合的産業だったアナログ技術が水平分業化したことで新しい産業/雇用を生み出すことに成功したが,その実は技術の積み重ねを必要としない水平分散型はコストダウンこそが工業の根幹たらしめ後進国の追随を容易にしてしまった.この結果中国をはじめとする賃金の安い経済が世界へ進出し世界中の労働価格が値崩れした,パンドラの箱を開けてしまっただけのことである.デジタル製品,時価の経済,万歳である.



スローライフに関する一考察

ここ数年はやっている言葉にスローライフがある.スローフードなんかもここから派生した言葉であろう.スローであることの物理的意味合いを考えてみたい.

熱力学的には,平衡に達するまでには時間がかかる.外場を使えば速くすることができる(例えるなれば新幹線と鈍行,どっちが必要エネルギーが少ないですか?更に言えば新幹線と飛行機どっちが必要エネルギー少ないですか?).外場とは外からエネルギーを加えることで,それをやっているのが現代文明である.外からエネルギーを加えると言うことは,無効仕事が発生する.すなわちエントロピーが増大する.これは熱力学第2法則が教えるところである.

第2法則が出てきたので第1法則も.これはエネルギー保存則であり,これはまさに色不異空の般若心経にも書かれている”不生不滅、不垢不浄、不増不減”である(東洋では2000年も前からこのことを知っていたのである!).地球を太陽系という閉鎖系で考えた場合,太陽からもらうエネルギーが地球に与えられる全エネルギーで,これを地球上の生けとし生けるものが分け合ってきた.そして,産業革命前は再生可能なエネルギーのみを利用してきたため,そのほとんどが化石と化し(いわゆる化石燃料)貯金してきた.再生可能なエネルギーとは人間のサイクルである1年で再生される薪であるとか,肥やしであるとかそのようなエネルギーである(化石燃料などは千年とかの単位で再生されるので再生可能なエネルギーとは言わない).産業革命はこの貯金を使うことを知ってしまったのである.これらのエネルギーはエネルギー密度が高く産業として利用するには好適だったのである.即ち現代は貯金を食いつぶして生きている年金生活者である.まさにエネルギー事情も年金生活者が生産人口より多くなって年金破綻が危惧される現代社会と酷似する.

内燃機関の進歩は特性向上とエネルギー効率を上げることの方向性があった.特性向上が収斂した今,エネルギー効率の向上がもっぱらの開発要点である.その一環としてこれまで無効仕事として捨てられていた分を回収しようとするのがハイブリッド自動車HEVである.一方電気自動車はパラダイムシフトを起こしている.これはガソリン+内燃機関でなく電気で動かすため電池+モータからなる.電池は内燃機関でやっていた”給油”という儀式が”充電”という儀式に変わる.充電をするためには電気が必要である.電気はどうやって作るのかと言えば発電所で作られるのである.発電所は石油を燃やすか,原子力に依っている.電気自動車がクリーンですよ,というのは全くまやかしで,発電所でCO2を出していることを隠している(そして本当にガソリン車が電気自動車に置き換わったら原子力発電所をどれだけ新たに作らなければならないだろう?毎年お盆の時期は電気が足りないと言われるのに!).発電効率×送電効率×充放電効率×インバータ効率×モータ効率>カルノー効率×ギア損失であってはじめて電気自動車がクリーンと言える.さらには電池やモータを作るのにかかるエネルギーとエンジンを作るのにかかるエネルギーや電池の寿命も考慮しなくてはならない.一般的にローテクなものの方が製造エネルギーは低い(だから当時の技術力で作れた!).このようにパラダイムシフトを起こした場合は本当に環境負荷が下がったのかの議論は難しい.自分がよく引き合いに出す写真産業も同じだデジカメなんて言うのもフィルムからCCDにパラダイムシフトしているのだから同じ土俵ではない(上で例えた新幹線と飛行機に同じ).先の第2法則で言った速さから考えれば環境負荷が高いことが予想される.これはこの他のエコ家電といわれるものについても当てはまろう.これらは使用中の環境負荷は"非"エコ家電より低かったりするが,それを作るための環境負荷だったりライフサイクルが非エコ家電より短かったりでライフサイクルという観点で評価すると必ずしも環境負荷が低いとは限らない.

結局のところ,ブームとしてのスローライフではなく,環境負荷を下げるというのは生活レベルを下げることを意味する.一度贅沢や便利を知った人間はその生活レベルを落とすのは容易ではない.便利さと質というのは相反する課題になる(デジカメは便利だけど,本当に質は高いんだろうか?) .どのレベル,即ち何年前の生活にまでなら我慢できるか,そうやって問題を先延ばししその間に産業の効率を上げる方法を探していく,これが熱力学の教えるところと思われる.なぜなら,熱力学は相対性理論やニュートン力学のような暫定真理ではないのだ.これを否定しようとするのならマクスウェルの悪魔の再現になる.



西穂独標ハイキング

残雪も少なくなってきたこの時期,ハイキングに行くにもいい時期になってきました.そんな訳で西穂の独標まで単独(/_;)ハイキングに行ってきました.ハイキングなので新穂高ロープウェーを使って一気に2100mまで上がります.ハイキングです,ハイ.ロープウェーの後ろの山は笠が岳です.
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ここから西穂山荘まではずっと雪道です.もう5月ですので単なる雪道歩きです.つぼ足で十分です.山頂駅からしばらくのところから直登になるので厳しいですが(従って下りはアイゼン装着),1時間余りで小屋に到着です.ほぼ夏のコースタイムで到着です.
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まだ時間があるので独標までハイキングに行きます.
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小屋からは霞沢岳,焼岳,乗鞍岳,笠が岳の眺望がありますが,ここからちょっと歩いた丸山まで行くと明神岳,西穂岳が見えてきます.
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独標から先はこんな感じでやめます.ハイキングですから.
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宿までの下りは20分でした.下りストエントリー可?宿に戻って宿泊の手続きをします.日の入りは18:45で晩飯後です.晩飯を終えるとこんな夕焼けが待っていました.笠が岳脇に沈む夕日です.雲が渦を巻いています.
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翌朝,日の出を拝み損ねました.寝坊ですw 今日は下るだけで天気も良かったのですが,昨日独標にいってしまったので温泉に浸かりたいと思い,丸山まで足を伸ばしただけでもう下山です.ハイキングですから.独標の標識が分かります.
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某温泉ですw
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刹那的

またもや日経エレクトロニクスの記事より

・なんでもデジタル化をすれば良いという考え方は,デジタル技術屋の奢りなのではないだろうか。アナログの方が場合によっては長期保存に適している可能性も高い,という事実を謙虚に反省すべきである。
・ デジタル文明は,まだまだ未熟である。というよりも,いまだに文明としての体をなしていない。文明とは,数千年の時を経て,初めてその資格を持つことができる。デジタル技術は,百年間といった程度の長期間保存すら真剣に考慮できないでいる。すなわち,文明の成立条件である長期保存性を正面から議論するというマインドすら共通になものになっていない。


ここを見ている方にはどこかで見覚えのあるような論調かと思う.いまを生きる人,それは開発側というよりユーザの,刹那的傾向が強まっただけのことかも知れない.

また昨今の未曾有の不景気の中でもケータイ会社が売り上げを比較的維持しているという.ケータイ会社のビジネスモデルは実体のあるハードウェアを売ることでなく,実体のないソフトを提供することである(それだからパイが右肩上がりだったときまでは端末代にインセンティブを乗せて0円端末ができた).実体経済はケータイに使うお金は維持するためハードに使うお金が減っていると言うことではないだろうか.若者の車離れやスキー人口の減少も根はそこになるように思える.その業界が儲かっていると言うことが意味することを考えるべきと考える.



会津のA/B級グルメ

連休は会津あたりで安達太良に登ったり湯治宿でのんびりしてました.食以外はこれまでの復習ばかりなので,今回見つけたグルメのご紹介です.
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○A級グルメ
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R115旧沼尻駅の北側に並ぶ山菜物産店で見つけた卵.黄身がすごく濃厚.写真は沼尻の源泉で作ったおんたまと,湯治宿の竈で炊いたお焦げご飯のコンビネーション.なお,ここで買った行者ニンニクの醤油漬けがうまかったので,翌日行者ニンニクだけを買って醤油漬けを作ってみた.出来はどうなんだろう?今年は暖冬の影響もあってか蕗の薹などの山菜が余り採れなかったので,自足湯治生活ができなかったorz


○B級グルメ
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喜多方と言えばラーメンで有名ですが,麺を焼き固めてパンの生地のようにしてとろとろチャーシューを挟み込んだラーメンバーガ.喜多方道の駅でのみ食べられます.

○番外編
若松はソースカツ丼で有名でこれまでに何軒か行ったことがあったが,今回初めて行列のできる某店に行ってみた.2時間も並んでどんぶりからあふれんばかりのカツだったが,かつて行った寿治左エ門に対して2時間待っただけのことがあったとは言えなかったorz 寿治左エ門の方がコクがあった.



一眼レフが抱えるブレ問題,その深刻さが明らかに

一眼レフが抱えるブレ問題,その深刻さが明らかに
スペック厨にはうれしくない内容だと思うが,一眼レフと断っているのはミラーのショックのことを指している.これ自体ならフィルムの時代から同様の問題はあったはずだ.
解像度勝負はかつて70-80年代にアサヒカメラやレンズ白書による評価コメントが日本のレンズが階調表現が乏しく,ドイツ製のレンズとの違いを生み出したと言われたのを思い出す.解像度は定量化できるレンズ特性のためユーザにわかりやすいカタログスペックとなるためメーカの設計指針となり,レンズ白書の時代は酷評されたメーカが怒鳴り込みに行ったことでも有名だ.レンズの設計は単焦点はもう50年代には設計の基本は固まっており,レンズ白書論争はコーティング技術の向上や70年代以降のズームレンズの普及とそれに伴う技術の蓄積が進んできたことを意味する.性能が収束したいま,CCDでそれをまたやってるだけで歴史は何度も繰り返す.
スローライフなフィルムの時代は木村伊兵衛が気泡のあるレンズに味があっていいと言ったことすらあった(日本の工業的にはそのような品管は許されない).味,つまり階調表現を言っていたのだろう.フィルムでも同様の問題があったはず,との問いに対する答えは自分はこの言葉に含まれていると理解する.



安すぎ!

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モバイル環境を求めている方はどうぞ.
https://store.willcom-inc.com/ec/faces/lstlscp000626/
裏技になるかも知れないが,この手のSIMカードの端末はジャケットフォンと言ってガワを"着せ替え"することでPC用のモデムだけでなく,スマートフォンになったり音声端末にもなったりする.つまり,このSIMカードを購入し,ガワを入手すればスマートフォンや音声端末にもなる.

スマートフォンの代表であるアドエスもこんな価格であるみたい.
http://www.moshimoshihonpo.com/ws011sh_value.html



成長神話=エントロピー増大則

予想されたことだが,デジタル一眼も需要が一巡し成長神話にかげりが見られ始めたらしい(初のマイナス成長の危機!デジタル一眼の「正念場」).世の人の新しい物好きさ,および強迫観念を煽ることで一人一台といっていいほどに普及した.また当初は性能的にもユーザの満足を満たすモノでなかったため買い換え購入を期待することができた.しかしそれがもう終わった今となっては気がつき始めたのだろう.ここにこんなコメントがあった.

写真がデジタルカメラになってからいつも一緒にいたいと思うカメラが少なかった。


デジ厨を除けば,これを感じてきた人は多いはずだ.ここにも記述があるが,

デジカメの苦手な被写体に
「針葉樹」
「遠景の木々や新緑」


悪貨は良貨を駆逐するといったものだが,こういう悪画に慣れてしまった目の人たちはリアルというものを忘れ,フィルムの自然を普通に映し出した画に不自然を感じるような時代がもうそこまで来ているのかも分からない.
さあ,デジ厨の皆さん,成長神話を達成するためアメリカの年次報告に屈するがごとく,景気回復のため新しいデジタル一眼を買ってくださいwww



ギザ悲しす

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中判フィルムカメラ「PENTAX 67II」「PENTAX 645NII」生産終了のお知らせ
中判はマミヤユーザだが,PENTAの中判は風景写真関連ではかなり高いシェアを持つ.それに風景写真こそ高い階調表現を有するフィルムの能力を知っているユーザ率が高い領域だ.それを機材から止めるとは,まさに兵站をつぶされたようなもの.いくらフィルムカメラがしっかりできていて寿命が長い故に,デジカメみたいにユーザが買い換えてくれないからと言ってこれをされてはまさにサイパン島陥落した思い.絶対国防圏の崩壊に匹敵する.これではまもなく発売されるGF670の喜びもWBC優勝も帳消しだ.



サンプロ1000回記念

21日は草津に滑りに行ってきた.風が強いことが予想されたので,収まりそうな午後から滑り始めるようにゆっくり目の出発が奏功し,ゴンドラもチケット購入時は停止していたが,午後には動き出した.アフタースキーは共同湯巡りとマイタケご飯を愉しんで帰宅した.

翌22日はゆっくり寝て,テレビをつけたところテレ朝のサンデープロジェクトは1000回記念と言うことでなかなか熱い議論をしていた.よそでも本件に関していろいろ議論をされているようだ.電通の息のかかった民放でもこういうまともな放送ができるようになったことに安心する.80年前の”みぞうゆの”経済危機の結果起こった大東亜戦争で唱えた”神州日本”"必勝の信念"のごとく,いわゆる郵政選挙の時はアメリカからの年次報告を達成するために米国資本からの圧力と思われる論調ばかりだった.売国奴が行った選挙に対して国民が内省できないが故に自民党もいまだ改革云々言い続けているのが現実と認識する.



ユーザビリティ

ものを作る際に気をつけなければならないこと,それはユーザビリティと言うことだと思う.ものを作る際,どうしても設計する側から設計を進めてしまい,ユーザビリティというものが置き去りにされてしまうことが多々ある.もっともシーズ指向の場合それ以前に独りよがりの開発になっていることも多い.今の社会情勢もユーザとして想定したのが,その仲間に入ろうとした"勝ち組"しか考えなかったために起こったものであろう.またもや仕事中に見つけた日経bpの記事より.

なぜ私は変節したか?
今の資本主義はもう、やめてくれ



ミレニウム

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東京へ出かけた際に入手したジャンク品マミヤ645の広角レンズ45mmのカビ取りを行う.写真に見るように,レンズをはずすには多くの工具が必要となる.カメラ店で売っている工具だけでは対応できない場合があったので,DIY店で売っている通常の工具をグラインダなどで先端を削ってバーナで炙り焼き入れ加工した工具などないものは自分で作る,こうしてカメラレンズだけでなく工具類も増えていく.

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#今日のハードオフ巡りではいつも使ってるPCに入れているのと同じビデオボードG400MAXを箱入り525円で確保.2Dの発色では現在でも定評があるが3D性能向上に失敗したmatrox社Gシリーズの最高峰とされる.このボードとももう8年くらいになろう.予備として温存,ビデオボードもこうして増えていく.自分のビデオボード歴はMillenium以外不倫したことがない.ゲームをやらないので3D性能は必要ないのだ.Millenium→MilleniumPowerDocEdtion→G200→G400MAXで今に至る.



17年前の予言

17年前の予言(日経BP社)より引用
 「新規性」こそが価値というモノや情報は,時間がたつことで陳腐化する。買っても買っても次々に陳腐化し,ゴミになっていく。(中略)情報化時代の次にくる時代を「脱情報化の時代」と呼ぶならば,この時代は「新規性」の反対,「継続性」こそが重要になるのではないか——

自分も同じことを言い続けてきたが,時代がリアルにこれを証明し始めつつある.
http://zuito.blog77.fc2.com/blog-category-6.html
http://zuito.blog77.fc2.com/blog-entry-99.html



バブル崩壊

いつも入れているスタンドのレギュラーガソリンの値段に目を疑った.ついに91円/Lになっていた.90円割れも目前.リーマンショックに引き続いた価格下落でも100円を切ることは業界が許さないと思ったが...如何にバブルで狂った値段で売りつけられていたのかを思い知らされた気がする.これで補助金目当ての環境ビジネスも一気にシュリンクしそうだ.一連の騒動で誰もがこれで目を覚ましたのではないかと思う,バブルは必ずはじけると.