蒔いた種は生える

日本カメラ休刊のお知らせ
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カメラ雑誌の主翼だった二雑誌,アサヒカメラ,日本カメラがこの1年で相次いで事実上の廃刊となった.2000年代はじめにデジタル化が進むとスポンサーであるカメラメーカの意向もあり,デジカメはフィルムを超えた,というような記事を書き続けた二誌である.その二誌がフィルムの時代に営々と築いた歴史を10年余りで食いつぶしたのは感慨深い.現時点で残ったカメラ雑誌はデジタル新製品の宣伝を主内容とする雑誌と風景写真を被写体とする雑誌に分かれたようである.後者はフィルムカメラユーザが多く,現市場の比率を考えると,フィルムカメラはカメラを中心としてフィルムの現像という地域で回り続けるエコシステム,が実体経済を動かす原動力であることを示していると思われる.エネルギーに永久機関はないように,経済もただで回るようなことはないのである.

90年代まで経済を引っ張った先進国が市場の飽和を打破することを目的としたグローバル化を実体経済で実現するための手法がデジタル化で,それが中国を始めとする途上国でうまく回りかつての先進国から収奪する側に回ることを先進国自身が導いたのである.蒔いた種は生えるということである.かつての先進国にとっての悲劇は蒔いた種の発芽率と成長率が途上国に適していたことである.種を蒔いた人の反論として,誰かがデジタル化を進めたというが,今トヨタを始めとする自動車業界でEV化に対して嫌がらせをやっているのはなぜだろうか.デジタル化で明るい未来といっていた2000年はじめはまだ日本の電機メーカが支配権を持っていた時代だ.新しいことを始めるときは都合のいい仮説だけでなく,都合の悪い仮説をどれだけ推察し,潰して置けるか,それがアンダーコントロールした状態である.

こうしてかつての先進国はデジタル先進国の持ち込んだちっちゃい自己主張を与えてくれるデジタルアヘン患者となって,デジタル化で明るい未来といっていた時代から10年後にはほぼ結論が出ていたにもかかわらずインパール作戦同様に引き際を見つけられず貯金が底をつき始め途上国に堕ちていることにようやく気づいた20年後の現実に生きているのである.

後悔後を絶たず、後悔役に立たず、後悔先に立たず