反論or拒否反応or?

iPadであなたはもっと馬鹿になる(米Newsweek)より気になった言葉を引用します.

○デジタル機器やウェブに振り回されて、人類は考えることをやめてしまった

○それなのに、自分がどんどんばかになっている気がしてならない。実際、平均すれば、われわれは上の世代より無知なのではないか。

○では、私たちがしていないことは? それは「考える」こと。情報を処理してはいるが、考えてはいない。2つは別物だ。

○悲しいことに、近い将来、事態が変化するとは思えない。変化があるとしても、それはさらに悪い方向への変化だろう。

このコメントや論法でも反論できる人が多数いるなら安心です.このタイトルを見ただけで拒否反応を示す人はまさに該当者の虞があります.人が強く拒否反応を示すのは,その人にとって一番突かれたくない点の場合が往々にしてあります.

#単に首を縦に振る人は,このページの儲に認定しますw



山に木が生えていると言うこと

仕事で欧米人や中国人と仕事をしてきたが,日本に住む彼らが共通して言うことの一つに日本の山は木が多いことを感心する.日本に住む我々は山に木が生えているというのは当たり前のことで何を言ってるのだろうと思う.ただ,もし海外に行ってそのことに注意して景色を見たり(もしくは行ったことがあるならその景色を思い出してみてもいい),または今ならGoogleEarthなんかで航空写真を見てみれば彼らの言っている意味が分かるというものだ.

100_2411(南アルプス上空)

ではなぜ彼らが彼らの故郷で見る山には木がないのだろうか?まず木が生える,こと生い茂るともなると生物が生きる上で必要な要素を考えてみる必要がある.植物の三要素と言えば温度,日照,水分である.

まず気温.しかし寒冷地でもこのような気候に適応した樹液の固い針葉樹がありそれだけではなさそうだ.

次に日照.地球上には砂漠のように年中晴れているところはあるが,年中日照のないところはない.あえて言うなら白夜のある極に近い地域であるが,彼らの故郷はそのような土地でない.

最後にに水分.即ち雨である.西岸性気候の土地はどちらかというと不利になる.実際太古から人が余り住んでいたと思われない南米大陸やオーストラリアは植生が乏しい.しかし彼らの故郷はこのような砂漠ではなく,少なくとも上総堀程度の井戸で水が得られるような地域である.

これらは自然に起因する理由であり,これらが複合的に作用したときに植生がかけると思われる.このような地域は今もかつても人類が余り住み着いて来なかった土地にみられるようである.これは先天的理由で,一方後天的理由として考えられるのが人為的要素である.古代文明の土地はいずれももともと植生があった(同世代の遺構から木製品が確認される)にも拘わらず,それを食いつぶしたために滅んだという説である.文明が発達すれば人口が増える.人口が増えればそれを養うための食料のほか熱エネルギーが更に必要になる.このために森林を食いつぶしエネルギー源を失ったために文明が滅んだという説である.文明が滅んだ後,地域の人口が減少したであろうから必要となるエネルギーも減少したであろうが,植生が戻らなかったのは一度贅沢を知った人間は生活レベルを落とせなかったために(今のレベルからすれば贅沢に当たらないかも知れない程度にも拘わらず)それでもまだエネルギーバランス的に不足だったと言うことだろうか?

しかし人類は運良く,1000年以上経かったが次のエネルギー源を見いだした.石油である.これは森林のように1年をサイクルとしないもっと長い熟成を経て貯金してきた化石燃料である(それ故に再生可能エネルギーと言われない).このため地球の歴史相当の貯金がある.また古代文明のように地面の上に出ている部分しか利用できなかったのでなく,むしろ氷山のようにその下にある部分を利用しているのである.このため炭素の直鎖が長くエネルギー密度が高いというメリットもある.これまでにも述べているように,このために工業製品というものが作ることができている.工業製品というのは早く大量に作ることで成り立っている

おそらく石油は今も地球の内部で作られているのであろう.ただ,その製造速度がどの程度で現在の残存量というのは分からない.それでも現在おそらく確からしいのは,製造速度<<消費速度ということであろう.宇宙から見る地球とまで言わなくても,普通の人に可能な飛行機から見る地球が今の状態を保っているのは,よく言われるように太陽からの距離と地球の熱容量が絶妙だったために供給されるエネルギー量がその冗長性を許容するものだったのであろう.このために太陽の揺らぎに対して金星のようになったり火星のようになったりすることなく,氷河期やらですんでそこから回復してきたのであろう.石油を消費することで発生するCO2と温暖化を関連づける結論は納得いかない点が多いが,石油を大量消費することで得ている社会構造が,それが底をつくことが明らかとなることがあるとしたらその時にきたす反動を考えると不安要素が多くこれに依存しすぎない社会構造とはどういうものか模索しないといけないと思う.

さて,それでは日本の森林が維持されてきたのはなぜであろうか?自然の要素を考えると,日本の温暖な気候と適度な降水が人為的要素によって失われた分を回復するに十分なものであったことが考えられる.また自然への畏怖という多神教であったこととも相関も言われるようである.古代文明の土地ももともと多神教だったのが,一神教になっていったと言うことを考えれば植生との相関が議論される理由が分かる.そして植生の乏しい国に共通する唯一神の存在する一神教というのは正しいか正しくないか的なデジタルなところがある.日本が今ある自然と国力を維持するには今の西欧的常識で進歩と思われていることを場合によっては見直す勇気が必要なこともある時代に突入しているかも知れない.

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



EVの設計に関する一考察

世の中で騒がれているEVの仕様を眺めていると,だいたい現在の電池の特性というものが見えてくる.

========================================
車種         i-MiEV(三菱) LEAF(日産)
-----------------------------------------
バッテリー[kWh]      16     24
(1モジュール構成)   3.7V/50Ah  7.5V/66Ah
モジュール数       88     48

 モータ最高出力[kW]    47     80
-----------------------------------------

この表からバッテリの出力レートが3C程度であることが分かる.

おそらく設計に当たって,MiEVは軽自動車の自主規制値である47kWのモータありきで開発が始まったと予想される.そして電池選定に当たって電池メーカからサイクルを考えると3Cまでしか保証できませんよといわれ,ならば3で割った16kWh,となったのであろう.

これらの車で使われているLiB(リチウムイオン電池)はそもそも民生用途で開発が進められてきたもので,余りハイレートを想定しているものではない.ケータイやNBPC(ノートパソコン)では1C程度で最高出力と考えていい.実際これらの電池を出荷している三洋やパナソニックの電池部門のHPからこれらの特性表を見れば1C程度がこれら捲回型の保証値であることが分かる.EV用の電池では民生用とは異なる電池設計によりハイレートをしやすい構造になっているが,それでも電池という化学反応を伴うものであること,そしてLiBの場合有機電解液を使う故の電流密度に不利な面があるため,3Cといえどもそれをサイクルすることまで保証することを考えればがんばっていると言える.

戻って入出力特性が対称とすれば充電時間は家庭用100V15Aでは公表されているように約10時間となる.ただ,LiBはその特性柄高SoC(充電率)での劣化が激しく(ケータイで電池が劣化するのもこれが原因.電池開発をやってる人はこれを知ってるので満充電で使用しない),自動車用途の製品寿命は民生用のケータイやNBPCのように数年保てばいいようなものではないため,上限は容量の60~80%に抑えることで劣化を回避せざる得ない.するとモータの高出力を維持しなければならないような高速走行において連続走行は数10分しか保たないことが分かる.また数年前にNBPCの爆発炎上で広く知られることとなった過充電などに起因する安全性の問題こそトヨタがPriusでLiBの採用をためらう最大の理由であり,LiBにあっては高SoCというのはできる限り避けたい.つまりEVとは低回転側でのトルクの大きい(永久磁石の特性柄高回転では熱ダレで効率が低下する.Dyを添加することで緩和される)モータの特性や回生の機会の多さと相まって,短距離輸送のコミュータ用途が現実解であることが分かる.

EVの設計を余り深く考えていない人が口にする電池の容量を大きくすれば云々,の話は大きさを無視すれば考え方によっては理にかなっている.即ち,容量が大きくなれば1Cレートも大きくなるので仮に同じ出力のモータを積んだとすれば電池の大型化に伴いレート特性を上げることが難しくなることも(おそらくそこまで分かって言っているわけでないだろうが)計算が合ってしまう.しかし一個電池の容量の大きい電池はコストの点で不利で,Tesla社のように18650を採用している場合,電圧を上げるための直列数が増えるに従い一個セルにかかるレートは比例して行くのでやはり厳しい(電池53kWh(3.7V2.1Ahセルを99直69並,モータ定格138kWとのことなので一列あたり2Cを越える).MiEVに搭載される16kWhの電池パックは200kgも占めているからパックでの重量は300kgを越える.となるとモータも一回り大きいのを載せようとなり,また重量が増すこととなり卵と鶏の議論になる.LiBのエネルギー密度は素電池で100Wh/kg(200Wh/L)である.対するガソリンのそれは10000Wh/kg(9000Wh/L)で現在の蓄電池で最大のエネルギー密度のLiBですら1/100である.何億年もかけて地球が貯金した化石燃料がいかに偉大であるかが分かる.電池のエネルギー密度の低さを補完するべく提案されているシリーズハイブリッドがあるが,これも電池の入出力特性に結局縛られてしまう.とくに気をつけるべきはハイレート出力の連続高速走行時であろう.この際に発電機からのレートが出力レートを上回らないとバッテリのSoCは減って行ってしまう.モータの出力は一定とすれば,バッテリ容量を少しでも小さくしたいシリーズ式こそ高入出力型のバッテリが必要になる.一方最近も都内のタクシー会社と実証試験の開始が報道されたバッテリの交換式においては,接点の劣化による損失増大や車の設計の最後に行われるというガソリンタンクに相当するバッテリ形状を規格化することの難しさの他,バッテリの劣化判断を定量的にする方法がまだ分かっておらず,リニアでない劣化挙動を示すそれらリサイクルバッテリに対する値段の付け方はどうするのであろうか?(オクタン価が80くらいしかないようなガソリンをレギュラーと言って売るようなもの)

たしかにデジカメ同様,現在の電力/ガソリン価格ならEVの"ランニング"コストはガソリン車よりも安い(ただし,ガソリン価格の内半分ほどはガソリン税が占めており,消費税しかかからない電気代と同じ土俵でなく,道路税を払っていないEVが公道を走ることに問題がある可能性がある).EVが環境に優しいかのごとく報道する向きがあるが,電池やモータには多くのレアメタルを含んでおり可採年数の他,それを採掘するに当たってのエネルギーコスト故にMiEVやリーフは400万もするのである.我々の祖先が生きたような明日のことを考えるほど余裕のない時代ならまだしも,今のようにネットとデジカメで自己主張して喜んでいるほど余裕のある社会にあって,エコノミーとエコロジーを履き間違えたエコでなく,未来のためのエコとは何なのかと言うことを考えるべきかと思う.そして,なにより注意しなければならないのが因果律というものである.アメリカのようにただ安ければいいというような消費行動を続けるとどのような産業構造に転換していって,自分たちの社会構造/食い扶持がどのようになっていくのか,それを考えないとミッドウェー海戦を過ぎた半導体およびその川下の黒モノ(デジタル)家電の二の舞になる.兵站を広げ,敵(市場)のいるところで戦闘を行うのでなく,敵を自らの有利なところに導き戦闘を行うのは作戦の基本のはずだ.だいぶ失いつつあるとはいえ,まだ今なら産業の制空権/制海権を持っているのだから.

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



若者 職求め中国へ

4/27の読売朝刊一面のタイトル

RIMG0001.jpg

を見て驚いた人も多いのではないかと思う.タイトルだけ見れば,どの程度の国民が認識しているのか分からないが,早晩起こると思われることでついに兆候が始まったか,と思いながら中身を読んだら単なる”未来小説”とのことだ.堺屋太一だから許されるようなもので,そうでもなかったらぬるぽだろう.夕刊紙のような小説が一面になるとは読売も落ちぶれたものだな,と思った一方,こうでもしないと国民に危機意識を持たせる方法はないのかとも思えた.

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



技術流出を憂うか、雇用確保を喜ぶか

日経TechOnの記事2件

それでも日本で造るには…
技術流出を憂うか、雇用確保を喜ぶか

後者の記事より抜粋

今、日本に開発・生産拠点を置いた製造業が継続的に発展し、雇用を生み出し続けることが非常に難しくなっている。その意味では、外国資本であっても日本に拠点を置くことは歓迎すべきことなのだが、外国メーカーによる日本メーカーの買収が増えることが、日本という国にとって最終的に喜ばしいこととなるかどうかは、かなり微妙な気がしている。

この辺の内容はここでも何度か触れてきたが,本当にこういった現実がエイプリルフールであってほしいと思う4/1である.

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



モノの対価として妥当な金を出すということ

庶民の味方か社会の破壊者か? ユニクロが招くデフレスパイラル“負”の連鎖

・ユニクロ型のビジネスモデルが引き起こした安値買い現象、およびユニクロ型戦略を模倣する企業がたくさん現れると、非常に不合理な状況を経済全体にもたらすということが言いたいのです。
 本来実現できないはずの価格水準を実現するために、どれぐらい人件費を安く押さえているのか。賃金が下がる、あるいは職そのものがなくなると、彼らはものが買えなくなるから、企業はものの値段を下げざるを得ない。そのためにさらに賃金が下げられる。言ってみれば、労働者が血を出しながら生産を伸ばしている出血景気なんです
・“そして誰もいなくなった”ということになるでしょうね。ものが買えない、生活できない。そうなったら、企業も全滅ですから、極端にいえば、みんな死に絶える。


記事は軽工業であるユニクロがネタであるが,その背景にあるデフレは形のないソフトに払う対価が増えていることがその大きな要因ではないかと思われる.対価としての値段に含まれる割合のうち物質的でない価値の占める割合が高い例として貴金属があげられる.貴金属はそれを採掘精錬するのにかかるエネルギーが鉄に比べれば高いとしても,それ以上に人間がそれに与えている価値によってつり上げられている.

同じように,ソフトというのも物質的,即ちそれを作るのに要するエネルギーが物理単位であるカロリー[cal]またはジュール[J]で与えにくいもので占められている.このため人件費が対価に占める割合が多いので,この手の製品は人件費の安いところで作ればコストダウンしやすい.すでに”ハイリスクハイリターン”でリアル感,という言葉で表現したが,買う側は工業製品がこのような製品に置き換わっていく中でその対価をすべての消費行動において見失っているのではないかと思える.武士は食わねど高楊枝といったものだが,エコポイントやら高速1000円やらのお上の施しを何の抵抗もなく受け入れられるのは武士は人口の10%にも満たなかったからか.

引用した記事でも使われている”そして誰もいなくなった”はここでも”フィルムカメラにこだわるわけ”で同じような危惧から使ったが,工業的にはデジタル化によるモジュール化とオープンアーキテクチャによる技術の急速な陳腐化が進行してしまうために,国策で通貨水準を落としている中韓のコストダウン攻勢に耐えきれなくなって来てしまっていることが国内で起こっていることである.過去の貯金で生きてこられたこの20年で失ったこれから日本人が日本で生きていくための方法,を国民一人一人が真剣に考えていないことを憂う

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



バイクの自賠責保険~期限切れに注意~

自賠責保険はエンジンのある動力車両に対して加入が義務づけられている損害保険であるが,車検のない250cc未満のバイクでは更新を気をつけないと無加入で走行し続けてしまうことになる(もっとも車検がある車両でも,車検切れを見落としてたら同じですね).実際自分も所有するバイクのうちの1台が今月で満期だった.いつものハードオフ巡りに出かけようとアイドリング中にたまたま,いや神の思し召しで自賠責のシールを見たら今月だったので,虫の知らせで期限を確認したらその前日で期限が切れていた!ハードオフ巡りは急ぎのようでないので,部屋に戻り更新方法を検討する.以前に125ccのバイクで同じように期限を切らしたことがあり,その時セブンイレブンの端末で更新がすぐにできることを知ったので今回も同じセブンで更新することにした.休みの日でも真夜中でも近くにセブンがあるなら自賠責切れで車両に乗らずにその日に更新ができます.なお自賠責切れで乗り続けると1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられるほか,道路交通法上の違反点数6点が加算されることになるので250cc未満のバイク,原付所有者は注意が必要です.一方で,車検のないこれら排気量の自賠責は3年以上の契約ができるので割安感が増す契約が可能です.

セブンでの任意保険の更新方法
http://www.sej.co.jp/services/insurance.html

なお,125cc未満の原動機付き自転車の任意保険は自動車所有者なら新規契約する必要なくファミリーバイク特約で追加と言う方法ができるので,持っていても毎年の1200円程度の税金にガソリン代(125ccクラスだと車の倍の30km/Lは走る)だけの維持費しかかからない実に実用的な乗り物です.



諸行無常の響き有り

○デジタル化に伴う日本の産業の現状に関する私見をこれまで何度か述べたが,それを経済学の観点から述べたページを見つけたので紹介する.
日本でのみ需要が増えず物価が下がる理由

これについては先にNHKで放送され,検索をかけば多く引っかかるように第一線の技術者が同様の感想を持っているところだろう.

○もう一つ,デジタル化によるカメラ産業の今後の予測を述べたページを見つけたので紹介する.
さらば,一眼レフ, 「ミラーレス機」の時代へ

これについても4年前に述べたようにデジタル化したにもかかわらず,デジタル化のメリットであるEVF化が果たされていないのがカメラであった.雑誌などで上がっている作品の色の深みを見ればまだCCDがフィルムを越えていないのはあきらかであるし,デジカメの根幹技術の半導体では小型化が指向性であるにも拘わらずCCD大型化への信奉があることが光学のデジタルとの親和性の低さを示すが,ユーザビリティの点ではようやくデジタルだからできること,へ向かいつつあるようだ.ただ,これはまさに日本のカメラ産業の衰退への道へのとどめとなる虞があることは,先に議論したのと同じアナロジーである.

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



紀元2670年

100_2212.jpg

70年前の昭和15年,紀元2600年祭が執り行われた.今年70才を迎える昭和15年生まれの人に”紀”の付く名前が多いのはそれが理由である.当時は支那事変から続く戦時体制であった.そして当時は絶対的にものの生産能力が不足していて貧乏だった.それから50年後の2650年(西暦で1990年),バブルの頃だった.そして今日2/11,紀元2670年を向かえる.今は絶対的にものの生産能力が過剰で裕福,しかしその供給源と消費地での通貨価値の差が大きくデフレの懸念がある.30年後の紀元2700年の情勢はどのようなものだろうか.

金鵄輝く日本の 榮ある光 身にうけて
  いまこそ祝へこの朝 紀元は二千六百年
  あゝ 一億の胸はなる

100_2202.jpg

写真は宝登山での風景



ハードオフ様々6

RIMG0004.jpg

2010年も1/12が過ぎました.その間,いつもの通り時間があれば価値観の違い(時差)を利用した価値発掘の倉庫であるハードオフ巡りを続けました.年明け後の一番大きな変化点は北上尾店において豊富に在庫していたカメラやPC部品を処分してしまったことでしょうか.これまで同店は高級?住宅街に構えるため,裕福層からのカメラAV関連の他工具類なども2Fのジャンクコーナで扱うレベルの高い店と位置づけしてきましたが,私の中でのランクが下がった気がします.北上尾店に限らず,ジャンク品の固定化と一部商品の回転が悪くなっているように思えました.ハードオフジャンクコーナのユーザ層が重なっている可能性があります.埼玉中南部はおそらく日本でも有数のハードオフ密集地帯のため,ワゴン車で県外から買い付けに来ている常連を見掛けます.というのも自分が他店に移るとその車をまた見掛けることが多いのです.そしてその車は昔にもどこかで見たような(←同じ穴の狢w)...そんな高い競争率を乗り越えてこの年始にかけて手中に入れたのが写真の品々です.今回はすべてジャンクと言っても,目利きがいいので完動品ばかりです.こんな品々が各々野口英世先生一枚以下とはただただ時代に感謝するばかりです. 

(1)KODAK V570(1050円):デュアルレンズによる広角を達成したデジカメ.充電器なしのため容量をあわせて自作で対応
(2)RICOH XR10+タムロン(525円):タムロンの”KA”マウントが付属のため購入,カメラやレンズはおまけw
(3)アンテナ分配機(840円):車のVICS用に車載アンテナから信号分配器,増幅機能付き

---
北上尾店のジャンクは吉野町店へ移管している模様です(10/02/14追記)



メイド・イン・ジャパンの命運(NHKスペシャル)

1/24に放送された番組であるが,27日に再放送されるのでこの内容を見て気になられたら見て頂ければいいと思う.

・いま日本の製造業が直面している世界の地殻変動、それは、猛スピードで技術が陳腐化し、製品の差別化が難しく、しかも製品の寿命が超短命に陥っていることだ。
・少しでも安いモノをと考える消費者にとって、ライバルがある程度の技術力を持てば、日本製品の優位性は一気に崩れるのだ。

ここでも書いてきたように,電機メーカはデジタル化による部品の汎用化とマスプロ化による技術の急速な陳腐化が進行してしまうために,中韓のコストダウン攻勢に耐えきれなくなって来てしまっているという事実と,それに対処する例として東芝の超弩級戦艦とも言うべきCellREGZAとビクターの特許収入で生きていく道を模索する2つの例を紹介している.前者はハードで対抗し(厳密にはデジタル家電なのでソフト開発がメインだろうが),後者はソフトに生きることに活路を見いだそうとしている.70年代当時デジタル化にかかわった方々に言わせるとMOSがここまで早く成熟化するとは思えなかった,またデジタル化によってここまで水平分散な産業構造になるとは思わなかったと言います.当時を生きた人間としてはデジタル技術はアナログ技術の延長上にあったのだろうと推察されます.しかしこれに伴った部品の汎用化という水平分散化がハードの陳腐化を加速させ,さらに中韓の追随をここまで許したのは日本メーカが人を大事にしなかったことも大きいように思う.メーカに勤務している人ならお金に釣られた人たちがどこに行って(どこで技術を垂れ流しているか)知っているのではないかと思う.まさに日本で通える某国の東印度会社です(本国まで拉致された人もいるのをご存じかと思います).

言うなれば80年代に米英が踏んだ轍を今日本が向かえたと言うことではないだろうか.この2つの例の(冴えているとは言い難い)ビジネスモデルや他に道を見いだせないなら,日本人は日本で生きていくなら生活レベルを落とすことになると考えられる.番組でも問うているように「日本は今後どうやって食べていくのか」,我々に課された宿題は重すぎる.

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



なぜマスコミはエコカーばかりを取り上げるのか

BusinessMedia誠より
 このところ大手紙、テレビ、あるいはクルマ関係のWebサイトに登場するキーワードは、「ハイブリッド車(HV)」と「電気自動車(EV)」だ。「エコの重要性が叫ばれる昨今、日本の最先端技術が世界の自動車産業をリードしている」的なトーンで書かれている記事を目にした人も多いはずだ。筆者はHV、 EVの仕組みを熟知しているわけではなく、これらの技術をくさすつもりも全くない。が、最近の過熱気味の報道にはいささか警戒感を抱いている。その理由は、伝える側のマスコミの事情によるものなのだ。(以下略)

報道側の中の人にも危機感を持ってる人がいることが分かり安心しました.一方でマスゴミやネットによって作られた世論を自己判断せずに盲目的に追従する人々が多いのを憂います.そこにあなたはどこにいるのでしょうか?

作られたブームによって自動車文化がフィルムカメラのように不可逆なほどに破壊されてしまわれないことを願います.半導体業界で起こったことと同じことがカメラ産業でも起こり,今度は自動車業界にまで波及したら日本に将来はないように思えるからです.日本はこれら産業の将来を舵取りできる立場にある/あったにもかかわらず,今を延命するために将来の首を自分で絞めてきたと考えます.文化は下流社会で形成されるものではないのです.それは単にブームやカルチャーというべきものです.それに手を貸した結果が今の状態です.悪貨が良貨を駆逐した例に過ぎません.

電気自動車はガソリン車を超えたw
トリック
私がフィルムカメラにこだわるわけ

後悔先にたたず,後悔役にたたず,後悔後をたたず



再生能力

当該分野の人から見たら当たり前の発想なのかも知れないが,日経TechOnで見つけた以下の記事は目から鱗の気がした.
「再生能力というのは、がんになるのと紙一重だと思うんです。高い再生能力を持っているということは、同時にがんがすごくできやすいということなんじゃないか。だからどっちをとるかという究極の選択が進化の過程であった。(中略)がんを発生させない必要があって、そのために涙を呑んで再生能力を犠牲にしたのではないか、と一人納得して思っているんですね」

工業製品でも機能美という言葉がある.一方ごてごてと張りぼてのように何でも付ければOK的な機能やボタン満載の製品.後者の製品の方が世の中一般受けがいい.そしてデジタル家電に代表されるように,これらの製品は故障した際は直すことを前提にしないため新品交換となるものが多い.一方職人の道具に代表される治工具類をはじめ工業製品でも"道具"の類はむしろ単機能へ向かうことが多い.直しては自分の体に合わせ込んでいくためという.工芸品の範疇だ.人間が再生能力を与えた例であろう.

案の定,京都議定書に続く国際条約を結ぶためのCOP15は失敗に終わった.政治的パフォーマンスの舞台の会議に過ぎないし,温暖化とCO2の科学的根拠を示せなかったのもその原因であろう.しかし,石油消費量が増加しているのは紛れもない事実である.こと日本に関していえば産業分野は省エネ対策や工場の海外流出によって横ばいなのに対し,家庭部門と運輸部門は右肩上がりのようだ.

07_04big.jpg

でも各家庭では省エネ家電やデジタル製品など”より省エネ”や”より環境負荷の低い製品”を導入したはずでなかったのか?失われた20年,収入の増加はないのに石油消費量が単調に増加していること,それは前よりエネルギーを多く消費する環境負荷の高い商品を使っているということだ.そして工場の海外流出によって下がってもいいはずの産業分野でも横ばいと言うことは,これら製品の製造負荷が大きいと言うことであろう.本当にその製品,その製品を使った行動が必要なのか.引用した記事の言葉を借りれば,今の生活レベルを維持するために涙を呑んで地球のエネルギー源泉再生能力を犠牲にするのか,となろう.ちなみにバイアス報道の元締めとも言える元東大総長の小宮山氏も,CO2-25%削減は家庭部門から行うべきと言っている.ただし彼が主張する25%削減の根拠は"エコ家電"を導入しまくって,ランニングで25%削減することで,ライフサイクルで25%削減できることを意味しない.それどころか便利なものが導入されれば人間その分余計に使うからだ.大型テレビ,デジタルカメラ然り.あくまで従来と同じ使用で消費エネルギーが削減可能と言ってるのに,より使われればせいぜいとんとん,製造からのライフサイクルで考えればむしろ増加する理由である.

再生能力,現代人に生活レベルにおいてそれができるのか,それが環境問題の本質と思える.



09紅葉まとめ

経過報告をすでに行ったが,年末となり今年度の紅葉のまとめをします.先月末に京都出張が発生したので,週末をくっつけて紅葉の京都巡りで今年の紅葉を締めた(出張は”作った”,って感じですがw)

8年ほど前まで仕事で大阪に住んでいたので京都には何度が行ったが,近いとありがたみがなくなるもので今にして思うともったいないことをしたと思う.

IMG0040.jpg
東福寺

IMG0041.jpg
東福寺

IMG0043.jpg
嵐山

IMG0039.jpg
清水付近

IMG0045.jpg
長岡花火(これは夏)



トリック

景気対策でエコポイントやらエコカー補助金やらの国からの”ほどこし”に目が眩んで国ご指定の"エコ製品"をお買い上げ頂いた方も多いようだ.自分もご多分に漏れず一度は目が眩んだのだ.13年以上乗った車の場合それをお買い上げしてくれるという.ところが調べてみると政府が言う”エコカー"は排気量の大きな,少なくとも単純計算で燃費の悪い車ばかりがリストアップされている.何かおかしい.おかげで施しを受けずにすんだ.

エコポイントも同じだ.大型テレビやら大型冷蔵庫...”明日のエコでは間に合わない”から(今のものを大事に使うのでなく)製造に必要サイズ以上にエネルギーを使う大型高級家電製品を買ってもらう方がいいという.明日の社会はもうそんな大型高級家電を買ってもらえるような余裕はありませんよ,ということなのだろうか.いやきっと生産から廃棄までにかかるライフサイクルエネルギーを精査された結果なのだろう.そういえば,観光地などで見掛ける最新の高級デジタル一眼レフを肩にかけた人は赤鉢巻きの大口径レンズを誇らしげに下げている人が多い.きっとそんな高価なレンズを見合うにたるだけの作品を,もちろんレタッチなんかせずにネットにあげてくれているのだろう.機械式の20年以上前のカメラと今流通するフィルムという多様な組み合わせができる"アナログ”カメラの表現力を知った上で.

エコと言えば,中共や北鮮もびっくりのバイアス報道が得意な日本のマスコミでは余り報道されていないが,クライメートゲートというのが海外では騒がれているらしい.CO2排出と地球温暖化に相関がある,とIPCCなる頭のいい人達の集まりが言っているものである.石油に依存しすぎている社会を是正する必要性は大いに感じるが,それとCO2とを結びつけるには裏があるように思うのは下衆の勘ぐりだろうか.リーマンショックの先物取引はCO2の売買も対象だったはずだ.

政権も変わったことだし,素直に政府はエコポイントはミスネーミングでした,景気対策補助金です,と白状した方がいいように思う.繰り返し聞いていると人間は洗脳されるのだ.ちなみに"エコ替え"する人にはこんな傾向があるらしい.エコ替え商品は高級品ばかりですからね.



源泉

DSC00087.jpg

早大モビリティー研究会のシンポジウムが21日に大久保キャンパスで行われた.卒業して10年になるがこの間に構内に新しい建物ができたり,地下鉄の駅ができたり,また周辺の町も少なからず変化がある.また時代を反映してか,研究棟へはIDカードがないと入れなくなった.土曜のシンポジウムと言うことで参加者は少ないと思っていたが,さすが内容が内容だけに400人入れる講堂が満席だった.

モビリティ=車と題打っているが,その実はエネルギー問題である.今回のシンポジウムでも結局のところメーカの人が喋っているからあくまでビジネスとして右肩上がりであることを前提とせざるを得ない.熱力学的に考えれば前にも述べているように今の生活レベルを維持するならよほど社会システムの効率が上がらない限り消費エネルギー自体は変わらない(今の生活レベルに必要なエネルギーがΔG,そのエネルギーを得るのに必要なエネルギーがΔH,その差分がエントロピーとして散逸する.つまりΔG/ΔHが効率である).そしてちまたでもてはやされている太陽電池だの代替エネルギーを利用したところでエントロピーの発生についてはなくなるわけではない.今問題になっているのはエネルギー源だけでなくプラスチックなどの材料として限りがあると考えられる石油に依存しすぎており,新しい工業製品ほどその製造から運用,そして廃棄に至るまでに石油がなくてはならなくなっていることだ.運用のエネルギー,またはランニングコストが安いものは概して製造から廃棄に至るまでのエントロピー発生はむしろ大きい(太陽電池の実効率なんて10%台である.太陽電池が代表するように新技術としてもてはやされているものは運用中のランニングコストは安かったりするが,製造にかかわるエネルギーが大きくLCAで環境負荷が低くするには新技術のものほど長く使ってもらうしかない.しかし実体はデジタル製品に代表されるように製品寿命は短くなっている).パラダイムシフトによって環境負荷が低減できたら錬金術が実現したようなものだ.

70年前,今のように生活に石油起因の製品にあふれていなかった時代にもかかわらず,我々の祖先はそのエネルギーの源泉たる石油を確保するべく戦った.引用したかわぐち氏の言葉を読むと”武士道とは死ぬことと見つけたり”,を思わざるにいられない(ちなみにこの会談はリーマンショック以前の2006年に行われたものだ).どんな源泉も循環される分以上に掘り出したら涸れてしまうのだ.日本人は湯水のごとくだが,アメリカ人はテキサスで油田が見つかったことで石油が湯水な訳である.そしてその石油を使った内燃機関を商業化したことでアメリカと言う文明を,そして秩序を維持してきた.自然というエネルギーが無限に供給されるうちはエントロピーを増大させつつ,文明と秩序を維持することができた(経済学でも最近はエントロピーの概念が取り入れられているようだ).しかし石油のようにそれを得るのにエントロピーの低いエネルギー源が枯渇することがあるならおそらく我々は少なくとも70年前程度のスローライフな生活レベルに徐々に落としていくことが迫られるであろう.それでも一部の国は自分たちだけは今のデジタル製品に囲まれた生活を維持しようと目先の残り少ないエネルギーを奪い合うために戦争が起こる時代が来るのかも知れない.



モーターショー

会社の金でモーターショーにキャンギャルの写真を撮りに,いや動向収集に行くw モーターショー自体の凋落はすでにあちこちで書かれているのを目にするが,行ってみると確かに酷いという気がした(そこのデジカメ小僧,使ってる焦点距離とレンズの向いてる向きおかしいだろ!).ある意味デジタル化した産業構造での日本の位置づけを見る気がする.この辺はすでに述べたとおりである.(財)日本自動車研究所主催のシンポジウムも聴講してきた.高齢化社会に向けた社会基盤と受容可能な技術に関する講演が多いが,トヨタの講演では若者の自動車離れに関する内容があった.モーターショーのプレス招待日でトヨタの社長がゲームをやり玉に挙げたが,工業,とくにハードウェアに携わる身の人間なら心の内では同じような思いを持つ人間は少なくないように思う.自分としてはゲームと言うよりもっと市場規模の大きいケータイではないかと思う.ケータイの支払いはハードである電話機に対してではなく,実体のないソフトである通信料に対して払っている.それに月10000円も払っているらしい.しかし,いつもたとえにあげるように,今自動車業界が戦々恐々としていることはまさにここ数年でカメラ業界が通った道である.トヨタの講演者はゲームとはさすがに口にしなかったが,ソフト的なものが支配しつつあることに自動車メーカは自動車の文化を創造して行かなくてはならないと発言した.すでに同じ道をたどったフィルムメーカのフジも同じことを言っている.たぶんデジタル好きな人たちはこう反論するだろう,それが時代の流れだ.またある人は,ユーザは便利なものを選ぶだけだ.以前にも書いたように,デジカメなんて言うのはブログでしか自己主張のできない人が得た唯一の空間を埋めるためのツールと言ったら言い過ぎだろうか?(あなたはブロガーですか?あなたの収入源はそこから得てるのですか?).そして便利なもの,それはエントロピー増大の方向だ.それに任せていたら社会秩序云々以前に人間の存在が危うくなる時代がやってくる可能性もある.



電気自動車はガソリン車を超えたw

豊田トヨタ社長、“ジャパンパッシング”に反論

いつもはメディアを使って世論誘導している経団連の親分が,今は先行されすぎたのかモーターショープレス招待日にて”自動車技術に関して、欧米では一足飛びにEVにシフトするという論調が(中略)かなり意図的に流されている”と発言している.確かに電源をリチウムイオン電池に頼る限り言っていることは全く正論で,ハイブリッド自動車(HEV)はインフラが整のわない現状では現実解で,過去に繰り返された電気自動車(EV)開発と同じ轍を踏む可能性が十分ある.それどころか中の人として言えばリチウムイオン電池を自動車に載せること自体,電池に起因する事故があってもキャンペーン中のメディアに協力させ人の命をお金で買うつもりだろうとすら思える(電池の爆発はDELLの爆発事故のように冗長性がない).しかし技術的優位性よりインフラなどの表面的な使い勝手や経済的要因で流れが変わる可能性はある.自動車の場合現在エコロジーの観点から電気自動車とガソリン車の駆け引きである.しかし,現状のメディアは製造から廃棄までの環境負荷であるLCAでの評価までしておらず,そのような本質の部分にまで理解している人なんて言うのは極少数のため,いつの間にか議論はすり替えられ,エコロジ-だったエコがエコノミ-に変わってくることが予想される.”かなり意図的に流された”デジカメがそうだったように,メディアは毎年”電気自動車はガソリン車を超えた!”,なんていう記事を書き続け,メーカ側も新しい産業を興すためなら現状技術に対するディスアドバンテージは隠すことでそれに乗っかったキャンペーンを開始するだろう.



2009紅葉途中経過

今年の紅葉の写真がだいぶ現像から上がって揃ってきたので紅葉撮影行の成果報告を.9/26の松之山からスタートする.ここは里なので紅葉と言っても里の草を絡めたものになる.今年は夏がだめだったので稲が中折れしているものが多い.
img161.jpg


紅葉が例年より1週間ほど早く推移している.このため,例年10月の連休でピークを迎える渋峠が連休の前の週でピークを迎えつつあるとの情報を得たので,天気が回復した10/4に草津入りした.写真は斜光の時間帯が作品になりやすいので車中泊で草津入りする.高速道路1000円のせいか,例年より渋峠に前泊する車が多い.ここにはもう2002年より毎年この時期に来ているので自分の中でこの時期のお気に入りポイントへ.ここはちょっと歩くことになるので余りここに構える人はいない.ただ,自分が三脚を構えてしまうので,例年一番乗りにはなるが,人が集まってきてしまう.
img153.jpg

9時過ぎには雲が上がってきてしまい,そのまま高曇りになってしまい写真にはならない天気になった.今年の草津の紅葉はこれでおしまいのようだ.


翌週の連休は紅葉が2000m以下またはやや緯度を下げて探すことになる.当初甲斐駒にターゲットを定めたが,金曜に厚い雲に覆われていたので翌日も期待できそうにないと急遽抜群の天気安定性を誇る八ヶ岳へ変更する.本沢温泉をベースに八ヶ岳のお散歩もする.ちょうど本沢温泉のあたりが紅葉のピークだった.ドンピシャだ.
img150.jpg

八ヶ岳に登っても360°のパノラマだ.夏の北アルプス山行が雨でさんざんだっただけにきれいな山を見られたことに感謝する.
img148.jpg



ハードオフ様々5

DSC01012.jpg
久しぶりのハードオス様々は,長岡川崎店で見つけた写真のTokina AT-X35-70/2.8です.AT-XシリーズだけあってF2.8固定です.90年代中盤以降は広角側への要求から28mmに伸ばされたものへ入れ替えされています.その頃からTokinaは高級版のAT-Xシリーズでだいぶ社勢を立て直したようにおもいます.

このレンズ840円でしたが,ハードオフさんはこのレンズの価値など分かっていないと思います.もちろん全く問題がなかったわけでなく,前段側の中央にカビがありました.比較的小さなカビだったので分解さえできれば除去可能と思い確保したものです.

Tokinaレンズのサービスマニュアルや群構成図を持ち合わせていないため手探りの作業になります.分解はピントリング側のゴムをはずしネジを解除するとピントリングが抜けるタイプかと思い作業を進めたのですが,これは間違いでした.正攻法に前群側から順番にはずしていく方法でした.銘板をゴム板ではずし,カニ目で順番にカビのレンズ群へ近づいていきました.3群目のレンズをはずしたところでカビに到達,エタノールとオキシドールで滅菌しまたもとに組み立てます.夜に作業を進めたため無限遠出しは月でやります.大丈夫そうです.AT-Xシリーズがまたこれで仲間入りです.